板谷波山 いたやはざん(陶芸家 物故作家)
1872年(明治5年)〜1963年(昭和38年)
 板谷波山 「氷華磁捻耳香炉」
板谷波山は、明治5年下館町(現在の筑西市)に生まれました。 本名は嘉七です。
明治22年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科に入学。岡倉天心、高村光雲らに学びました。
明治29年に石川県工業学校彫刻家主任教諭として赴任し、その後に陶磁科を担当。本格的に陶芸の実地研究を積む。
明治36年には教諭職を辞職して、田端(現在の東京都北区田端)に住居と工房を建てる。
明治39年には初窯作品の「彩磁薊花花瓶」を日本美術協会展に出品、技芸褒状一等を受賞し、数寄者としても大変に著名な益田孝(鈍翁)氏に買い上げられました。
そして翌年には、東京勧業博覧会に出品した「磁製金紫文結晶釉花瓶」が三等賞を受賞します。
この時期頃から陶芸家としての板谷波山の名望が世の中に広く知られてきました。
しかし、意にそぐわない出来の作品は打ち捨て、完成度を追求した作品のみを世に出していたために、世の中に流通させられる作品数も限られてしまい、生活苦の日々は依然として続いていました。
◆ そして、至高の名品の誕生 「葆光彩磁」
光を包み込むような柔らかで繊細なマット系の釉薬である葆光釉は、明治40年頃から調合実験が始まりました。
明治44年頃には試作も始め、繰り返しの試行錯誤を続け、大正3年の東京大正博覧会に出品した「葆光彩磁孔雀唐草花瓶」(金牌を受賞)が宮内省に破格値で買上げられることになりました。
その後、大正中期頃にはほぼ完璧な仕上がりの「葆光彩磁」の麗しい作品が制作されました。
◆ 故郷を愛し続けたことでも知られる 板谷波山
昭和8年から昭和26年まで、茨城県下館地域の80歳以上の高齢者に(戦時中も継続して毎年欠かすことなく)自作の鳩杖を無償で贈呈し続けました。
また、日中戦争や太平洋戦争の戦没者の遺族を少しでも力づけたいという願いを込めて、昭和13年~昭和31年には自作の白磁香炉や観音像を遺族に贈りました。
そして、昭和28年には陶芸家として初の文化勲章を受章されました。
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