(≧∇≦)と( ̄▽ ̄)③加山又造

(≧∇≦)加山 又造さんは13歳で京都市立美術工芸学校に入学し、17歳で東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学しました。

( ̄▽ ̄)戦後すぐ父親が亡くなりましたが、敢えて京都に戻らずにアルバイトをして遺された母と妹に送金しながらも東京で学業を続け、美術学校を卒業した後は学校でも指導を受けていた山本丘人先生に師事して創造美術に作品を応募し、一度目は落選、研究会に参加の上で二度目にして入選し、その後は順調に画業を歩み始めるようになりました。

(≧∇≦)28歳、1955(昭和30)年には初めて個展を開催し、31歳には第二回グッゲンハイム賞国際美術展に出品し、以降海外で日本画の展覧会が開催される折に招待作家として出品を重ねることにもなっていきました。

( ̄▽ ̄)若いうちから大変な経験をしたけど、どんどん挑戦しに行ったんですね!

IMG_2077.JPG

IMG_2087.JPG

花田美術では加山又造さんの買取相談を承っております。

(≧∇≦)と( ̄▽ ̄)②加山又造

今週から加山又造さんを(≧∇≦)と( ̄▽ ̄)で紹介したいと思います。

(≧∇≦)加山又造さんは1927(昭和2)年に京都市上京区で生まれました。

( ̄▽ ̄)祖父は京都四條派、円山派に学んだ絵師で名を田辺玉田というそうです。

(≧∇≦)父親は西陣の衣装図案師で若くして工房を弟子を抱えて工房を営んでおり、工房では父や弟子達の仕事を見て過ごし、また仕事の為に集められた様々な図案集や画集を飽かず眺め、いつしかそれらを真似て絵を描くようになっていったそうです。凄い家系ですね…!

IMG_2084.JPG

IMG_2082.JPG

花田美術では加山又造さんの買取相談を承っております。

今週から加山又造さん!

加山 又造さんは京都に生まれた日本画家、版画家です。

京都府に西陣織の図案家の子として生まれ、現京都市立銅駝美術工芸高等学校、現東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事し、日本画の伝統美を現代的な感覚で再表現しました。

平成15年文化勲章を受章した素晴らしい画家です。

IMG_2058.JPG

IMG_2067.JPG

IMG_2061.JPG

今週はそんな加山さんをご紹介します。

花田美術では加山又造さんの買取相談を承っております。

(^○^)と( ^ω^ )①②熊谷守一

(^○^)熊谷守一さんは身の周りにある物を描きますが、鮮やかで簡潔です。

( ^ω^ )塗り絵のようにも見えます。

(^○^)しかし、守一の絵を見つめていると、よく知っている物でも、初めて見るような驚きを得られます。

( ^ω^ )そして、その色、その形にしか思えなくなってくるのです。

IMG_1906.JPG

IMG_1918.JPG

IMG_1900.JPG

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。

(^○^)と( ^ω^ )①①熊谷守一

(^○^)熊谷守一さんは、岐阜県恵那郡付知(現・中津川市付知町)出身の画家です。

( ^ω^ )日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられています。

(^○^)しかし作風は徐々にシンプルになり、晩年は抽象絵画に接近しました。

( ^ω^ )「二科展」に出品を続け、「画壇の仙人」と呼ばれ、1880年(明治13年)4月2日、熊谷孫六郎(初代岐阜市市長・衆議院議員)の三男として生まれました。

IMG_1913.JPG

IMG_1919.JPG

IMG_1916.JPG

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。

(^○^)と( ^ω^ )⑨熊谷守一

(^○^)熊谷守一さんの晩期の作品中には、われわれはあれが好き、これが好きというようなことは言えるかもしれないが、どの作品もほとんど出来、不出来を示さない同じような力の充実した絵で、その点が熊谷守一という画家の作品の一つの特徴でもあります。

( ^ω^ )この画家の自伝が昭和四十年、九十一歳の時に『へたも絵のうち』という題で綴られ、日本経済新聞社から発刊されました。その中で、この画家は語っています。「私は子供の時から他人を押しのけて前に出ようとする気がないから、何も怖いものはないのです」といっているまた、先年亡くなった画家坂本繁二郎のことにふれ、「あの人は金欲も名誉欲もない人だったようですが、ただいい絵を描こうという気持だけは強かったようだ。私には特にいい絵を描こうという気ないのだから不心得者なのです」と語っていたそうです。

IMG_1906.JPG

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。

(^○^)と( ^ω^ )⑧熊谷 守一

(^○^)この頃から熊谷守一さんの画風は晩年に続く様式として、だいたい定まってきたようです。

( ^ω^ )もちろん少しずつの推移、進展はみられるが、そう大きな作風の変化はないみたいですね。

(^○^)晩期の画風は一口に言えば簡朴の一語に尽きるかもしれません。でも、その簡朴な様式のうちに無限の滋味を堪えているものと言えるでしょう。

IMG_1879.JPG

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。

(^○^)と( ^ω^ )⑦熊谷守一

(^○^)昭和22年熊谷守一さんは戦後間もなくの時期に画家は長女萬を亡くしました。

( ^ω^ )「ヤキバノカエリ」というこの画家のものとしては比較的大きな十二号の絵は、この時のかたみの作品で、この時、 画家は六十七歳で、あごの髭もすでに白かったそうです。

IMG_1893.JPG

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。