香月泰男の絵画の値段について~評価基準や売却について分かりやすくまとめました~

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香月泰男の絵画の値段

香月泰男の絵画の値段は、直近2年間の公開オークションの相場ですと、200万〜1,160万円となります。ただし、絵画の図柄や大きさや年代・素材などで評価や値段は異なります。

花田美術では香月泰男の絵画の査定を行っております。香月泰男の絵画作品をお持ちで、より明確な値段をお知りになりたい方はお気軽にお問い合わせください。今回のコラムでは、香月泰男の絵画の評価基準の他、生い立ちや作風、売却方法について解説いたします。

香月泰男の作品の評価基準

香月泰男の作品の評価は特に『年代』や『図柄』によって変わります。香月泰男に限らず、作家は創作活動を始めてから年々進化していきます。若い頃に描かれた作品と、作家独自の表現を習得した後の作品、晩年に描かれた作品では、評価や値段が異なります。
図柄は人物、静物、風景、またシベリア・シリーズを想起させるような作品が人気です。人物では母子像が題材として描かれた作品が特に人気です。

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年代や図柄は特に注視するポイントですが、その他にも作品の状態やサイズなども拝見した上で適正な価格をご提示いたします。

香月泰男とは

香月泰男とは、昭和を代表する日本人洋画家です。16歳から美術に触れ、戦時中ではシベリアに抑留された経験を経て、戦後では故郷である三隅町を拠点として創作活動を行っていた洋画家です。制作年によって作風は大きく変化しており、色彩豊かに描いた作品もあれば、単色の作品が続いたこともありました。

その理由は、彼の代表作であるシベリア・シリーズを描くきっかけとなった、シベリア抑留の経験があったからです。このシリーズで強烈なインパクトを残した香月泰男は、「シベリアの画家」と呼ばれるようになりました。

しかし画風を模索していた時代は身近なものをモチーフにしており、特に数多くの食材を描いていたことから、1950年代は「厨房の画家」として名が知られていました。なお、シベリア・シリーズを描いた後はこのような作品は描かなくなってしまったわけではなく、その後も身近な植物や食べ物などの静物をモチーフにした色彩豊かな作品も描いています。

香月泰男の生涯はこちら

香月泰男の代表作「シベリア・シリーズ」の解説

1947年〜1974年の約20年の間に描かれた計57点の作品のことを、香月泰男の「シベリア・シリーズ」といいます。

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香月泰男は1945年にシベリア抑留され、その2年後の1947年に帰国します。シベリアにいた頃の、過酷な労働、寒さや飢餓などから極限状態で感じた苦しみや痛み、死者への鎮魂の意を込めてシベリアでの体験を絵にしました。

戦前は色彩豊かで明るい色味の絵画作品が多く描かれていましたが、シベリアの経験を経て香月泰男の描き方である、黄土色・褐色・木炭を使ったモノクロームの世界観を確立させました。その多くは、木炭の墨の色が黒々と画面いっぱいに描かれた表現の絵画が多く、その重厚さからひしひしと香月泰男が体験した思いが感じられます。

香月泰男の独特な作風とその背景

香月泰男の絵画作品は、黄土色・褐色系の色味の油絵の具と、日本画画材の岩絵具『方解末』を混合し、木炭の粉を油で溶いた墨色の絵の具の表現が特徴です。

方解末というのは、日本画の下地や盛り上げ材として使用されることが多く、香月泰男の作品には欠かせません。また、この画材を使った作品の表現は1947年のシベリア抑留以降に独自で作られた表現になります。
シベリア・シリーズ以外にもこの表現が使われており、香月泰男がよくモチーフにしていた身の回りのありふれたものも同様に描いています。また晩年には、水墨を使った着彩素描も制作しています。

香月泰男の生涯

香月泰男は1911年(明治41年)、山口県大津郡三隅中村に生まれました。16歳(1927年)の頃に初めて油絵を描き、18歳(1929年)で初めて東京美術学校を受験しますが失敗し、川端画学校洋画部に通いました。

1931年 東京美術学校の油絵科に入学し、1936年に東京美術学校を卒業しました。卒業後は、北海道庁倶知安中学校の美術教師として赴任しました。
1937年 国画会第12回展に出品しましたが、落選してしまいます。翌年1938年には山口県下関高等女学校に転任しました。
1939年 国画会第14回展に出品した作品が国画奨学賞を受賞します。ここから同展や異なる展覧会に出品し、毎年連続して入賞を果たしています。

1943年 徴兵により旧満洲国に配属され、1945年の終戦後はシベリアに抑留されます。この頃の経験がシベリア・シリーズを描くきっかけとなりました。
1947年 日本に帰国します。故郷である三隅町へ帰着し、初めは下関高等女学校の先生に復帰しました。翌年1948年には、山口県立深川高等女学校へ転任します。そして 復帰後初の作品《雨(牛)》《風》を発表し、国画会第22回展に出品しました。また、62年に退会するまでほぼ毎年出品をしていました。

1949年 フォルム画廊で初めての個展を開催しました。 以降亡くなるまで同画廊での個展は年1回行われ、新作を発表する場として開催されました。
1960年 教職を退いて画業に専念するようになり、1969年には第1回日本芸術大賞を受賞しました。
1974年 3月8日、心筋梗塞のため自宅にて死去しました。

香月泰男の絵画の売却について

香月泰男の絵画の売却をお考えの方の中には、値段の他に売却方法や売却時に気をつけておくことなどがないかお調べになっている方もいるのではないでしょうか。

売却方法はいくつかございます。大きく分けて以下の3つがあります。

  1. 買取
  2. オークション出品代行
  3. 委託販売

弊社花田美術では、お客様のご希望を伺った上で最適な売却方法をご提案いたします。売却方法についてお困りの場合やご相談は、お気軽に花田美術へご連絡くださいませ。

香月泰男の絵画の売却の時に気をつけておくこと

香月泰男の絵画を売却する際に注意することは、真贋を確かめることです。その理由は、鑑定書を取得していない場合、たとえ真作(本物)の作品だとしても次の方へ販売することが難しくなるからです。したがって、鑑定書を取得していない作品の場合は、事前に取得する必要があります。また、鑑定書があることで次の方が安心して購入することができます。

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鑑定書を取得されましたら、作品の状態を確認していただきたいと思います。香月泰男の作品の多くは、油絵の具に日本画の画材を練り込んだ独自の画材を使用しているため、画面に衝撃が加わると絵の具が落ちてしまうことがあります。同じ理由から厚塗りで描かれているところもありますので、ヒビが入ってしまい状態が悪くなっている場合もございます。ただし、剥落や欠損などの状態になっていても作品の価値が0になるわけではありません。

贋や作品状態についてお困りの場合、現物をお持ち込みいただくか、メールや郵送でお写真をお送りくださいませ。作品を拝見した上で、適切なアドバイスを申し上げます。一度お電話(03-3289-0668)かメール(info@hanada.gallery)までご相談くださいませ。

香月泰男の絵画の値段につきまして詳しくはお問い合わせください

香月泰男の絵画の値段を知りたい方は花田美術へご相談ください。メールや郵送などでお写真をお送りいただきますと、概算やアドバイスをお伝えすることは可能です。また、直接作品をお持ち込みいただきますと、より明確な値段や適切な売買方法をご提案することが可能となります。

査定の際には美術品に造詣が深いスタッフが作品を査定し、市場相場などさまざまなデータを元に価格と、お客様にあった売却方法をご提示します。絵画の査定につきましては、銀座の画廊へお持ち込みいただくか、遠方の方は配送業者のご手配をすることも可能です。
香月泰男の査定や売却に関するご相談は、下記お問い合わせ先より気軽にお問い合わせください。

電話番号 03-3289-0668

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