藤田 嗣治さんは日本画の技法を油彩画に取り入れた独特な表現でエコール・ド・パリの代表的な画家です。
花田美術では藤田 嗣治さんの買取相談を承っております。
加藤 唐九郎さんは愛知県春日井郡に生まれます。
生家は、半農半陶の窯屋で、昭和18年に愛知県西加茂郡に窯を構えます。
その頃は志野の茶碗や唐津釉の雑器及び瀬戸黒茶碗を主として制作していました。
昭和27年に翠松園に帰って、黄瀬戸や志野及び黒織部茶碗の優れた作品を作ったのは人の知る所です。
その後昭和60年になるまで唐九郎の作品は、日本の伝統的な造型に学び伝承と場合によっては復元に近い制作に命を掛けていた様に私には思われます。
また、参考までに号に関する事をいくつか記述させて頂くと、昭和36年 漢学者で詩人の服部担風翁より『一無斎』の号を送られ以後、作品の銘に『一ム才』を使用されます。
昭和37年には『一ム才』を『一ム』と改めるまた、昭和55年 作品に記す号に『野陶』『ヤト』を使う。昭和56年作品に記す号に『陶玄』を使い、後に『玄』を使われたそうです。
花田美術では加藤 唐九郎さんの買取相談を承っております。
1928〜1999の海外物故作家ベルナール•ビュッフェさんは1928年7月10日パリに生まれました。
16歳の時、唯一の理解者であった母を亡くしてしまいますが、戦争と貧窮の中で孤独に画家を目指しました。
1948年、20歳の時、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞し、天才画家として一躍有名人になります。
鋭角的なフォルムと強烈な描線等、独自の画風を築き上げ、作品は苦悩や孤独・不安に満ち、第二次世界大戦の荒廃した時代を具現化しています。
油彩画の他、リトグラフ(石版画)とドライポイント(銅版画)を手がけ版画も多く制作しています。
1958年、アナベルと結婚し、1971年、レジオン・ドヌール勲章を受賞されました。
1974年、アカデミー・フランセーズ会員となり、最愛の妻アナベルと生涯を添い遂げる間も彼の孤独が癒えることはありませんでした。
女性像のモデルの多くはこの妻のアナベルで、1999年、絵を描くことに人生のすべてを捧げたビュッフェは南フランスの自宅で逝去。享年71歳の事でした。
誰よりも美術と妻の事を多く考えたからこそ、描ける作品ですね。
花田美術ではベルナール•ビュッフェさんの買取相談を承っております。