藤田 嗣治

(⌒▽⌒)パリでの成功後、そして戦後と、生前の藤田 嗣治さんが日本社会から認められる事はついになく、また君代夫人も没後「日本近代洋画シリーズ」「近代日本画家作品集」等の、他の画家達と並ぶ形での画集収録は断ってきました。

(≧∇≦)近年になり、日本でも藤田の展覧会が開かれるようになり、大戦中のプロパガンダ芸術への画家たちの協力は、当時の時代背景から大半の作家にとり回避しえない事柄であり、事実それを断ると公式な展覧会などを含む画壇からの実質的な追放や画材の供給がもらえない等の背景がありました。

(⌒▽⌒)取分け藤田は陸軍関連者の多い家柄にある為軍関係者には知故が多く、また戦後占領軍としてGHQで美術担当に当たった米国人担当者とも友人であったが故に、戦後の戦争協力者としてのリストを作るときの窓口となる等の点などで槍玉にあげられる要素がありました。

(≧∇≦)しかし、藤田は元々日本画壇に根ざし属して成功した人物ではなく、欧州での活動で成功していた経緯もあり、当時の日本人画家からは羨望を交えた非難中傷が主な理由で、日本では制作しにくい立場に追いやったことは否めません。

(⌒▽⌒)しかし現在では、第二の故郷フランスや欧州での美術市場で十分な評価が確立されている以上、美術的に正当な評価を確定したと言えます。

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