横山 操〜越後の神話編〜

今回から横山 操さんを(u_u)と(°_°)でご紹介します。

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(u_u)雪に埋もれるように、越後平野の厳しい風景には神話がひろがっています。

(°_°)一つは良寛神話であり、そして、ほぼ同じ土地に横山操の人物像はやや過剰な脚色とともに語られてきました。

(u_u)弥彦(やひこ)山に近い広大な田園の広がる吉田町の中心部に、1920(大正9)年、横山操は生まれました。

(°_°)町医者の家の私生児で、まもなく薬局を営む横山家に養子に出された彼が、その後の幼少年時代に自殺を考えるほど孤独な悲劇的生活を送ったか、むしろ反対に大事に育てられ朗らかな少年だったか、という「議論」があります。私は自殺を考えた事が無いので、とても悩んでいたんだなと思いました。

(u_u)横山自身が、生前から不幸な境遇を演出していたというが、他方、彼の文章には意外なほど「母なる自然」の叙情的風景が記されています。

(°_°)具体的な出生や育ち方の身上調査をしても、横山の作品を脚色する強引で一面的な解釈しか導かれないのでは、あまり意味はありません。

(u_u)ここでは、横山の絵画自体をこそ、いま一度熱視して、たどりなおしてみましょう。

花田美術では横山 操さんの買取相談を承っております。

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