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棟方 志功〜私のお気に入り作品特集〜

昨日までは棟方志功さんの魅力について対談形式で紹介してきました。今日から来週までの残り4日間は棟方志功さんの作品の中で私のお気に入りを紹介していきます。

ちなみに前回までのブログを読んでない方は是非コチラからお読みください!

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花田美術では棟方志功さんの買取相談を承っています。

(@_@)と(@_@)①⓪〜棟方志功完結編〜

(@_@)こうして見ると棟方志功さんは、かつての日本の伝統としての版画を選んだはずなのに、大きさといい、色彩といい、伝統版画とはまったく別の、というより世界の常識を打ち破る版画の革命に障害を捧げてきたようにみえるね…

(O_O)日本の伝統どころか、日本を代表する「世界のムナカタ」になられたしね!

(@_@)彼は1975年(昭和50年)9月13日、72歳で亡くなった。限り無い変化と全身をつづけた果てに、燃え尽きたように終わった一生であったそうです。

(O_O)こんなに最後まで走り続けた画家さんは居ないんじゃない?

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(@_@)と(O_O)⑨〜棟方志功伝説を破る編〜

(@_@)受賞以後の棟方志功さんは常識の枠を破った版画のような大作をつぎつぎと発表します

(O_O)1957年【郡生の柵】、1958年【海山の柵】、1960年【鷺畷(さぎなわて)の柵】、1961年【花矢の柵】、1963年【恐山の柵】。描線は次第に厳しくなり、郷里青森に捧げるもの狂おしい表現が多くなっていたんだそうです。

(@_@)一方、このころから女の顔というか仏の顔の優美な板画も増えてゆく。この一見矛盾する2つの方向を総合した結論ともいえるのが【大世界の柵】である。

(O_O)乾坤(けんこん)2部(坤・・・昭和38年、乾・・・昭和44年)天地1.7m、左右27m、世界最大の版画だそうです。

(@_@)B1パネルを描くだけでヒーヒー言うのに、この大きさなら完成までにどのくらい時間が掛かったんだろう…

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(@_@)と(O_O)⑧〜海外での評価編〜

(@_@)棟方志功さんの奮闘ぶりを評価したのはまず海外だったそうです。

(O_O)へぇ〜…どういうキッカケで作品が海外に知られたの?当時にしては珍しい、凄い事なんじゃない?

(@_@)1952年(昭和27年)4月第2回ルガノ国際版画展で【女人観世音板画巻】で優秀賞を受賞、1955年(昭和30年)7月第3回サンパウロ・ビエンナーレ展に【釈迦十大弟子】などを出品し版画部門最高賞を受賞、翌1956年(昭和31年)ヴェネチア・ビエンナーレ展では【湧然する女者達々(にょしゃたちたち)】【柳緑(りゅうりょく)花紅頌】などで国際版画大賞を受け「世界のムナカタ」の地位を確立します。

(O_O)かっこい〜!今はSNS等を通じて積極的に海外に発信出来るけど、当時は積極的にコンクールに出さなきゃ行けなかったんだね…

(@_@)美術の流行に無縁の新鮮な表現、ほとんど西洋の影響がなく、土俗に徹し切ったところから生まれる普遍性が、先入観を持たない欧米人の眼に新鮮な驚きを与えたのだろう。しかし日本の美術界の反応は鈍かった。もともと版画がマイナー視されていたうえ、志功の作風も経験も画壇の美意識に合わなかったためか、国内での受賞は、1965年(昭和40年)の朝日賞まで、このあと10年もかかることとなる。だから日本でも積極的にコンクールに参加していたけど難しかったみたい…

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