横山 操〜青龍社脱退・造形から精神性へ③〜

(u_u)1962(昭和37)年、青龍展に出品予定の《十勝岳》に対しての、青龍社内部からの縮小要請を契機に、横山は青龍社を脱退します。

(°_°)それは、実際には社内 での「人間と人間という、個的な理由」によっていたといわれています。

(u_u)翌年、龍子は青龍社は自分の生前限りで終了すると宣言し、そのことばどおり、横山脱退後4年目の龍子死去をもって同社は解散したそうです。

(°_°)横山の龍子への敬愛は終始一貫しているが、その脱退の翌年、あえて「第1回個展」と記し、「越後風景展」は、絵画上でも明らかに一つの転回点となりました。

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