横山 操〜青龍社脱退・造形から精神性へ①〜

(°_°)1959(昭和34)年からは加山又造、石本正と轟会に出品し、また日本国際美術展、現代日本美術展などにも招待されたりと、このころから横山は青龍社を超えて画壇的な評価を確立しだします。

(u_u)色数は増え、小品も描くようになります。

(°_°)そして、 1960年、深大寺(東京者調布市)にアトリエを新築した際に過去のみずからの作品を焼却し、翌年、アメリカに旅立ちます。

(u_u)自分の大切な作品を焼却してしまうなんて、決意の現れですね!

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