(@_@)と(O_O)⑧〜海外での評価編〜

(@_@)棟方志功さんの奮闘ぶりを評価したのはまず海外だったそうです。

(O_O)へぇ〜…どういうキッカケで作品が海外に知られたの?当時にしては珍しい、凄い事なんじゃない?

(@_@)1952年(昭和27年)4月第2回ルガノ国際版画展で【女人観世音板画巻】で優秀賞を受賞、1955年(昭和30年)7月第3回サンパウロ・ビエンナーレ展に【釈迦十大弟子】などを出品し版画部門最高賞を受賞、翌1956年(昭和31年)ヴェネチア・ビエンナーレ展では【湧然する女者達々(にょしゃたちたち)】【柳緑(りゅうりょく)花紅頌】などで国際版画大賞を受け「世界のムナカタ」の地位を確立します。

(O_O)かっこい〜!今はSNS等を通じて積極的に海外に発信出来るけど、当時は積極的にコンクールに出さなきゃ行けなかったんだね…

(@_@)美術の流行に無縁の新鮮な表現、ほとんど西洋の影響がなく、土俗に徹し切ったところから生まれる普遍性が、先入観を持たない欧米人の眼に新鮮な驚きを与えたのだろう。しかし日本の美術界の反応は鈍かった。もともと版画がマイナー視されていたうえ、志功の作風も経験も画壇の美意識に合わなかったためか、国内での受賞は、1965年(昭和40年)の朝日賞まで、このあと10年もかかることとなる。だから日本でも積極的にコンクールに参加していたけど難しかったみたい…

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