横山大観の屏風作品とは?代表作・特徴・魅力を徹底解説します

横山大観とは?近代日本画の巨匠のプロフィール

横山大観は近代日本画の巨匠であり、明治、大正、昭和にかけて、最も有名な作家であると言えます。生涯の師と仰ぐ岡倉天心の理念や思想を元に生涯その理念を貫き通しました。
また、横山大観といえば富士と言われるほどに、生涯にわたって数多くの富士山を描いたことで知られています。

横山大観の略歴と功績

◆略歴
横山大観
本名は横山 秀麿(ひでまる)

1868年(慶応4年/明治元年) 常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)で生まれる。
1889年(明治22年)東京美術学校に第1期生として入学する。
1898年(明治31年)日本美術院創設に参加する。
1906年(明治39年)茨城県五浦に、日本美術院を移す。
1914年(大正3年)日本美術院を再興する。第一回展覧会(院展)を開催する。
1937年(昭和12年)文化勲章を受章および、帝国芸術院会員となる。
1951年(昭和26年)文化功労者となる。
1958年(昭和33年)逝去する。

◆功績
横山大観は近代日本画の発展に大きく貢献した画家です。従来の日本画の枠にとらわれず、西洋画の技法も取り入れるなど、革新的で挑戦的な姿勢を貫き、独自の画風を確立しました。また、師事していた岡倉天心の元で日本美術院の創設に携わり、後進の育成にも尽力しました。

横山大観独自の表現技法「朦朧体」とは?

横山大観の「朦朧体」とは、従来の日本画が重視してきた明瞭な輪郭線を描かず、色彩の濃淡やぼかしを駆使して対象を表現する技法です。明治後期、岡倉天心の指導のもと、西洋画の外光表現に刺激を受けた大観や菱田春草らが、空気や光を絵画で表す新しい試みとして編み出しました。この表現技法は、絵具をつけない空刷毛で色を伸ばし、霧や靄に包まれたような幻想的な雰囲気を作り出すのが特徴です。しかし当時は「幽霊画」「縹渺体(ひょうびょうたい)」などと批判され、嘲笑を浴びることもありました。それでも大観は、自然の気配や光の移ろいを画面に映すこの技法を追求し、日本画の新たな境地を切り開きました。

横山大観と屏風

『紅葉』足立美術館蔵

横山大観は掛け軸の作品を多く残していますが、その一方で屏風作品も数多く制作しています。屏風は大画面であるため、鑑賞者が右から左へ、または左から右へと視線を移すだけでも一定の時間がかかり、季節の移ろいなど時間の経過を表現するのに適しています。また、大画面全体を使うことで空間全体を包み込むような表現が可能となり、そうした作品の制作にも屏風が活用されてきました。

なぜ大観は屏風に描いたのか?

大観は大正中期から昭和初期が最も勢いがついていた時期だと言えるでしょう。この頃は大きく分けて2種類の作品を制作していました。一つは「雲去来」「生々流転」といった水墨画の作品、もう一つは「秋色」「喜撰山」といった日本の伝統的な彩色画に通じる作品です。屏風は主に後者系統に作品にて用いられました。

大観は屏風の大画面を活かし、季節の移ろいなど時間の経過を表現しました。また俵屋宗達や尾形光琳といった琳派の様式を取り入れ、装飾的で濃密、かつ華やかな彩色で描きました。これらの表現を大画面全体を使うことで、空間全体を包み込むような作品を生み出しました。

屏風ならではの空間表現

大きな作品という意味では屏風が生まれる以前は、壁画と呼ばれるものになります。それがやがて、移動も可能で、状況に応じてしまうことも出来る屏風が発明されます。ちなみに、ある程度巨大な作品という意味では、耐久性のある壁などではなく屏風のような耐久性の弱い壁面に絵が描かれるのは、日本や中国などの独自の文化だそうです。また、その絵を一介の装飾ではなく、美術品として昇華させたのは琳派の発展に貢献した尾形光琳や狩野派などではないかと考えて良いと思います。

横山大観の代表的な屏風作品

数々の屏風作品を制作してきた横山大観ですが、本記事では「雲中富士図屏風」と「柳蔭図屏風」の二点についてご説明します。いずれも6曲1双の大作であり、まるで鑑賞者自身がその情景の中に入り込んだかのような没入感を与えるスケールです。

代表的な屏風作品「雲中富士図屏風」「柳蔭図屏風」とは

雲中富士図屏風

『雲中富士図屏風』東京国立博物館蔵

大正2年(1913)頃
絹本金地着色
187.2×416.3
6曲1双
東京国立博物館蔵

横山大観の富士を描いた作品の中でも、装飾性がひときわ際立つ屏風です。全体を覆う金地に白い雲海を配し、その上に群青で大きく富士の頂を描き出しています。夏の富士を題材にした明るく開放的な表現には、大観ならではの豊かな色彩感覚と壮大な構図の巧みさが表れており、見る者に晴れやかな印象を与えます。

「柳蔭図屏風(りゅういんずびょうぶ)」

『柳蔭』東京国立博物館蔵

大正2年(1913)
絹本金地着色
195.4×545.4
6曲1双
東京国立博物館蔵

《柳蔭》は、原三溪による注文制作作品であることは間違いないのですが
実は制作年が少し曖昧なのです。ある資料では大正2年、ある資料では大正4年であるとされています。前回の生誕150年を記念した展覧会では、大正4年であると明らかにされたと書かれていましたがどうなんでしょうか?私ももう少し調べてみたいと思います。
さて「柳蔭図屏風」の作品の解説ですが、画面全体を覆う柳の葉が印象的です。前に立つと柳に包まれるような涼しさを感じさせます。右中央には柳の下で眠る童子、左側には柳陰で談笑する人物が描かれています。余談ですが、「柳陰清談」という作品名の画題は、大観作品に限らず、文人画で親しまれた画題です。

横山大観の屏風作品が見られる美術館・所蔵先情報

『夜桜』大倉集古館蔵

横山大観記念館(東京都台東区)
横山大観が晩年を過ごした邸宅を美術館として公開し、
大観の作品や画材などを展示しています。屏風作品も所蔵しており、
企画展で展示されることがあります。

足立美術館(島根県安来市)
横山大観の作品を約120点所蔵し、国内屈指の規模を誇ります。
広大な日本庭園と共に、横山大観をはじめとする近代日本画の名品を鑑賞できます。
屏風作品も多数所蔵し、常設展示や企画展で鑑賞できる機会が多く、
特に「紅葉」などの代表作が知られています。

山種美術館(東京都渋谷区)
近代日本画のコレクションが充実し、横山大観の『作右衛門の家』などの屏風作品も所蔵しています。

過去には生誕記念展などで多くの作品が一堂に公開されました。

東京国立博物館(東京都台東区)
日本の美術品を広く収蔵し、横山大観の雲中富士図屏風、柳蔭図屏風、松竹梅図屏風なども所蔵しています。
企画展などで展示されることがあります。

茨城県近代美術館(茨城県水戸市)
横山大観の出身地であり、作品を多数所蔵しています。

広島県立美術館(広島県)
横山大観の屏風作品「松鶴図(右隻は大観、左隻は下村観山との合作)」などを所蔵しています。

岡田美術館(神奈川県箱根町)
横山大観の屏風作品「紅葉」などを所蔵しています。

※注意点
展示替え:展示は定期的に入れ替えが行われるため、特定の屏風作品が常時展示されているとは限りません。
鑑賞希望作品がある場合は、公式サイトで展示情報を確認するか、直接問い合わせることをおすすめします。

これまでの特別展・企画展での展示

◆特別展|福井県立美術館
2024年4月26日〜6月2日:「北陸新幹線福井・敦賀開業企画『横山大観展』」

◆コレクション展|足立美術館(島根)
2023年3月1日〜5月31日:「横山大観の軌跡 絶筆『不二』を含む名品を一堂に」
◆生誕150年 横山大観展
2018年4月13日〜5月27日:東京国立近代美術館
同年6月8日〜7月22日:京都国立近代美術館《生々流転》《夜桜》《紅葉》など展示
◆企画展|山種美術館
2018年1月3日〜2月25日:「生誕150年記念 横山大観 —東京画壇の精鋭—」
(山種美術館所蔵の大観作品全41点を公開)

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一般的に美術品の評価価格は、需要と供給のバランス、作品の図柄、色合い、作品の状態、サイズ、年代、共箱書きの有無、鑑定証書の有無等により、同じ作家の作品でも大きく変わります。
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