(^○^)次々に子供が生まれた熊谷守一 さんは、長男が黄、次男が陽、次が長女の萬、次女榧、三女茜。次男陽が昭和三年に数え年四歳で亡くなってしまいました。
( ^ω^ )子供好きのこの画家の悲歌は見るも無残でありました。
(^○^)この頃、熊谷家は貧窮のどん底にあって、子供が病気でも医者にかけることも出来なく、夫人は画家に絵さえ描いてくれたら、それを金に換えて医者をよぶことが出来るからと頼むのだけれど、画家はただオロオロするばかりで絵など描けない。後になって画家はこんな風に述懐します。「子供が病気で心配な時、絵を描けるような画家の気持ちが私にはわからない」。
( ^ω^ )陽は死しんでしまいます。画家はその枕元で亡くなったばかりの愛児の死顔を速写する。それが「陽の死んだ日」という中期の傑作でいま倉敷の大原美術館に蒐蔵されています。
(^○^)画家はこの絵を描いた後、死んだ愛児の枕元で絵を描いている自分を顧みて愕然とした思いをしたそうです。
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