(^○^)と( ^ω^ )①熊谷 守一

熊谷守一さんについて、(^○^)と( ^ω^ )の対談形式で紹介していきます!

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(^○^)熊谷さんは若い時から図抜けて素質のある画家だという評判が、仲間の間に高かったそうです。

( ^ω^ )明治三十三年、二十歳で東京美術学校の油絵科に入った時、同級生に青木繁とか和田二一造とか山下新太郎とか、後年名を成した錚々たる画家たちがいたが、その連中が熊谷守一の画才にひとしく奇異の眼を見はっていたということらしいです。って言うか、さすが東京美術学校。同級生のメンバーが濃いですね。笑

(^○^)山下新太郎とは特に親しかったらしく、後になって山下新太郎は美術雑誌にこんなことを書いていますよ!

 ―― 熊谷守一には当時からそれまで誰もやっていない絵を研究しているようなところがあって、モデルを見ながら丸だの三角だのを描いたり消したりしているのを不審に思って見ていたが、それからしばらく経った後で、フランスに立体派という新しい画風がおこつたことを知って、なるほどと篤いたものだった…

( ^ω^ )明治三十三年といえば一九〇〇年で、フランスで立体派の運動が興る以前だから、山下新太郎の述べていることには、 多少買いかぶりもあるようだが、それにしても熊谷守一には前人未踏の絵の才能が若くあったそうです。

花田美術では熊谷守一さんの買取相談を承っております。

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